一杯のラーメンが自己紹介になり得るか。丸山千里の答えは「蟹と柑橘の抹茶ラーメン」――蟹肉、柑橘、抹茶をスープに溶け込ませたラーメンだ。彼女はこの一皿で日本の35歳以下料理人コンペティション「RED U-35 2025」にエントリーし、最終的に準グランプリを獲得した。この出来事自体がどこか異例だった。彼女はどこかのレストランのシェフでもなければ、固定のキッチンすら持っていない。RED U-35の開催以来、飲食店出身ではない料理人が準グランプリ以上の成績を収めたのは、これが初めてだった。

彼女の肩書きは「フードクリエイター」。商品開発、メニュー開発、ケータリング、イベント料理と、仕事内容は幅広く、何でもやっているようで何者でもないようにも聞こえる。丸山自身も認めているように、「フードクリエイターって一体どんな仕事なの?」とよく聞かれ、一時はこの肩書きを名乗るべきかどうか迷ったこともあったという。

あのラーメンのロジックは、実はかなり理系的だ。緑茶には最大20種類のアミノ酸が含まれ、旨味成分が豊富だが、多くの人はそれをデザートに使う。丸山の判断はこうだ――旨味こそが緑茶の本質であるならば、料理に使うほうがむしろ理にかなっている。作り方は、鶏ガラスープに煎茶を混ぜ、そこに抹茶を溶かし込むというもの。鶏ガラのイノシン酸と茶葉のテアニン、グルタミン酸が相乗効果を生み出し、スープに深みが出る。このアイデアが生まれたのは2023年、鹿児島の茶農家で、まるで出汁のように濃縮された玉露を飲んだ時だった。同時に彼女は、後継者不足や耕作放棄地といった茶農家が直面する現実の問題も目にした。準グランプリ受賞後も、彼女はポップアップ出店を続けながらこの一杯を磨き上げ、「京番茶醤油ラーメン」といったバリエーションにも挑戦し、一番茶、二番茶、ほうじ茶、発酵茶それぞれの個性を探り続けている。

代官山での一年、つまずいて見つけた道
丸山は1993年、鹿児島生まれ。九州大学農学部を卒業後、まずコクヨ株式会社に2年間勤務した。そして「もう我慢できなくなった、この道しか残っていなかった」と、東京・代官山のフレンチビストロ「Ata」の門を叩いた。シェフの掛川哲司は、経験のないこの新人をこう言って受け入れた。「やる気があるなら、やってみるか?」しかし、キッチンでのカルチャーショックは想像以上だった。ある工程の理由を先輩に尋ねると、返ってきたのは「理由を聞くな」という言葉だった。約1年後、彼女は心身ともに疲れ果てて退職する。「もう自分は料理人になるとは言えないと思うほどの挫折だった」というが、それでも心のどこかで諦めきれずにいた。

後になって、彼女はあることに気づいた。Ataで働いていた時に致命的だったのは、自分が集中しすぎると周りの声が聞こえなくなってしまうことで、キッチンで他人と連携しながら作業するのには向いていなかったのだ。商品開発はその真逆で、一人でじっくり取り組める。これこそが自分の居場所なのかもしれないと感じた。農学部出身の理系的な頭が、料理をロジックとして分解する習慣を彼女に与えた――食材のどの部位を際立たせる価値があるか、その価値をどう引き出すか。彼女にとってそれは科学実験のようなもので、微量な調整を繰り返し、数字を記録することも苦にならなかった。

ベーコンのロジックを、消えかけたかつお節に応用する

2021年から2024年にかけて、彼女は食のクリエイティブ制作会社TETOTETO Inc.に在籍し、その間、鹿児島県指宿市の「山川水産加工業協同組合」から、なまり節(半乾燥かつお節)の商品開発を依頼された。依頼理由はシンプルだった。「若い人にも食べてもらいたい」。これは食卓からほとんど姿を消しつつある伝統食材だ。彼女は最初「なまり節カレー」を考え、試作してみたところ、かつお節とカレーを組み合わせても、1+1以上の効果は生まれないことがわかった。本当の突破口は燻製香にあった――なまり節は魚、ベーコンは肉だが、両者とも燻製された動物性タンパク質であるという点で、ロジックが共通していることに彼女は気づいたのだ。ベーコンがよくトマトソースと合わせられるなら、なまり節も理論上は同じことができるはず。こうして「なまり節ボロネーゼ」が誕生した。彼女はこの「なまり節をベーコンのように使う」という発想が、今後サラダやグラタン、ソテーといった料理にも応用できると語る。この方法論は、掛川哲司が常々口にしていた言葉に由来する。「料理には基本の組み合わせがある」――牛肉には赤ワイン、羊肉にはハーブ、豚肉にはじゃがいも。彼女はキッチンで培われたこの組み合わせのロジックを、そのまま商品開発の思考に持ち込んだのだ。

RED U-35決勝の現場で、審査員の辻芳樹は彼女に「技術のバックグラウンドはどこにあるのか」と直接尋ねた。この質問は彼女にとって馴染みのあるものだった。「フードクリエイターとは何をする仕事なのか」という疑問と、実は同じ不安を別の形で問われているに過ぎなかったからだ。彼女の答えに、その場の審査員たちは頷いた。「自分には料理人としてのバックグラウンドがないのではないかと、ずっと疑っていました。修業をやり切れなかった自分を、認めることができなかったんです。でも後になって気づいたのは、誰かに『自由にやっていい』と言われると私は途方に暮れてしまうけれど、『この食材を際立たせる一皿を作って』と言われると、アイデアが次々と湧いてくるということでした。私の背景は、食材そのものなんです」
準グランプリを手にしても、不安が消えることはなかった。「そうじゃないんです。結局、自分で自分を認められない限り、この問題は解決しないと気づきました」。丸山がエントリー動機に綴った迷いは、もしかするとこの言葉の別の表現なのかもしれない。飲食店に入り、シェフになり、星を獲るという「王道」のルートを外れて、自分が選んだ道もまた意味を持つのだと、確かめたかったのだ。この道を「フードクリエイター」と呼ぶべきかどうか、彼女自身もまだ、はっきりとした結論を出せずにいる。






